蔵出しダイアリー 「ヨーロッパ」
2008年10月ごろから数年間書き貯めたダイアリーを捨てられずに残していていた。そのころ何をしていたのか思い出せるような気がして公開することにした。誤解されるような表現は避けたつもりだが、理解不能な部分があればご容赦願いたい。第一弾は、「ヨーロッパ」について書き貯めた部分だ。
2008年10月ごろから数年間書き貯めたダイアリーを捨てられずに残していていた。そのころ何をしていたのか思い出せるような気がして公開することにした。誤解されるような表現は避けたつもりだが、理解不能な部分があればご容赦願いたい。第一弾は、「ヨーロッパ」について書き貯めた部分だ。
さて、ガイドをしている場所に梅の木が数十本植えられていて、そろそろ満開を迎えます。そこで、その木が植えられているところへゲストを案内しようと思い、
I think Japanese plum tree will be full bloom in this week or next week.
というようなことを言ってみました。
文法的なミスとしては、「be in full bloom」が正解のようですが、「in」が聞こえなくてもそんなことは大したミスではないと思います。問題はもっと根本的なところにありました。
ゲストは私の言う「plum tree」にキョトンとされ、私が何を言いたいのかわからない様子なのです。どうやら、私の発音が「pram」(「乳母車」)になっていたのかもしれないし、「plum」と「花」、そして「満開」というイメージが結びつかないのかもしれないようでした。そしてなんとも残念なことに、少し歩いた先にある日本語の立て看板の「梅」という文字を見てやっと納得されたようでした。
Japanese plum blossoms will be full bloom.
と言えば、「花」というイメージが伝わったのかもしれないなと後で思いましたが・・・。正解はよくわかりません。それより、別の言い回しがすぐ出てこればいいのではないかと思います。(すぐに出てこないので、早めに準備しておこうと思います。すぐに「桜」が満開になる時期を迎えますから。)
さて少し先に進んで、建物に入る場所につきました。その建物は小さいので、人数制限があってかなり待たされました。「どんな建物なのか」などの話した後、まだ待ち時間が続いたので、ゲストの個人的なことをお聞きして話を膨らませようと思い、
May I ask what your job is?
これも、文法的にあっている自信はないのですが、質問していることはわかると思います。
その時、頭の片隅にあった疑問はこうでした。私は、「職業」という言葉を「occupation」を使って表現したかったのですが、翻訳に100%の自信がなかったので、次候補として、「work」が頭に浮かびました。ところが、この「work」ですが、「ウォーク」なのか「ワーク」なのか、常々うまく発音できないという気持ちがあって、できれば避けたい単語の一つなのです。結果、「job」を選んだわけですが、何となくですが軽い表現というか、「定職」を聞くにはフォーマルな感じがしないというか、これもそんな自由に使える単語ではないなという印象があります。(次は自信をもって「occupation」を使おうと思いました。)
そしてこの日のガイドは、似たような葛藤が次から次へと続いたのでした。
それでも最後にはゲストの、
It's really glad to meet you here.
という言葉をいただき、この日も最高の「アパレンティス・デイ(Apprentice Day)」でした。👨
コロナ禍で、今までの価値観がゴロゴロと崩れていく感じがしています。例を上げれば、「年賀状」。少し前までは、今どき年賀状はあまり意味がないよね、でも、むかしからの習慣だからなかなかやめられないよね、という感じでした。ところがコロナ禍を経て、その流通量はピーク時の4割に減って、本格的な価値観の変化が起こっているようです。
さて、少し前のことになるのですが、「働くとはどういうことなのか」という疑問に答えてくれた記事を取り上げてみたくなりました。日本社会が斜陽化し始めたころ、私達はどうすればいいのかという論調だったと思います。まず英文で、その後、その元の文章を続けてみます。
<英文>
When you wanted to find a reason why you started working after graduating your university. It's difficult to explain, if you hope to express the convincing explanation. Furthermore, after belonging to your company and continuing your job a little long time, you became to feel a frustration. And, you might feel surroundings disturbed your achievement. However, the real reason of the failure was your powerlessness.
Regardless of such unhappy fact, I recommend to start working. I suggest you, young newcomers, that you can wander around in your working situation. In some case, you may happen to meet with the chance you have never ever expected. In nine times out of ten, you get weak at your knees and cannot take the chance. And, you would feel upset about your own uselessness.
Even so, because you did wander around, you did experience the moment that you had a chance to grab a chance. And you can be proud of the fact you experienced the moment. On the contrary, there would not be the perfect job which matches you 100 percent. In my opinion, it's not necessary to present the perfect job matching 100 percent for you. If there is that moment, it's worth for you to start working.
<日本語文>
働くということに意味を見出そうとすると中々答えが見つからないだろう。そして、仕事を続けているときっとうまく行かないもどかしさに苦しむ体験をするはずだ。まわりに振り回されうまく行かないと感じることもあるだろうが、一番感じるのは、自分自身の無力さだろう。
それでも、働くことを選ぶべきだと思う。うまく行かなくて、ぶつかった壁のまわりでウロウロしているだけでもいいじゃないか。ウロウロしていれば、偶然に思いもかけないようなチャンスが飛び込んでくることが必ずある。そしてたいていは、そんな絶好のチャンスに体がすくみうまくできなくて、自分が心底嫌になったりする。
しかしそうであっても、ウロウロしていたからこそ、チャンスをものにする瞬間に立ち会えたわけだ。そして、その事に誇りを持てる。自分に完全にマッチする仕事などこの世に存在するとは思えない。それでも、働く方がいいと考えるのは、働いていればそういう大事な瞬間に出会えるからだ。だから、働くということに私は意味があると思う。
<まとめ>
一方で、日本の社会は相変わらずこういう精神論に埋没していて、変化し続ける世界に対して競争力を持たなくなってしまっているのではないかとも思います。「甘いな」と言われそうですが、日本のこういうところが捨てたものじゃないと感じています。
最近、ある記事を読んで、もっともだと思ったことがありました。その一部を英文で再現して、文意が伝えられるかどうか試してみたくなりました。まず英文で、その後、その元となった文章を続けてみます。
<英文>
Many people were suffered badly because of COVID-19 pandemic. Not only their health but also their mental stability. There is a typical story below; this would not happen if COVID-19 didn't appear.
I happened to meet an old friend one day. We had just a chat, and at the end, I said 'let's have a drinking party some day.' Then, my old friend started to organize 'the drinking party' with other friends and decided to hold the party. I said 'but, how do you think the existence of the Omicron?' And I pointed out that it's too early to hold the drinking party.
I don't understand why, but, he said 'you are too much nervous, don't worry.' And he continued that it was important to support Japanese whole economy. I couldn't understand him, and I thought he would only like to enjoy the drinking party. I unintentionally said to him 'it's a matter of human life, do you really consider this aspect?' My old friend suddenly got bad-tempered, and said 'you are mocking me.'
What is wrong about this whole story? I can say that is his thoughtless action, or?
<日本語>
コロナ禍で、様々な不都合が発生したが、人の心もひどい影響を受けている。たとえば、こんなことはきっとコロナ以前では起こらなかっただろう。
ある時、私は古い友人とばったり会って、ちょっと話してから、「またみんなで飲みたいね」といって別れた。するとその友人がさっそく他の友達に電話して、みんなで集まろうという話を決めてしまった。私としては、オミクロン株のこともあるし時期尚早だと思い、その友人の誘いにみんなで会うのはまだ早いよと伝えた。
ところが、その友人は私の言うことを聞いてくれないで、「心配し過ぎだよ」と言い、「日本の経済を回すのも大事だと思うね」と言ってくる。私の心の中に「ただ飲み会をしたいだけでしょ」という考えが過り、「人の命の問題なんだよ。そういうこともちゃんと考えてる?」と言ってしまい、友人はムッとして「馬鹿にしてるんだ」といった。
これは、何が悪かったのだろう?友人の軽率な動きがいけなかったのか、それとも・・・?
<まとめ>
この記事を読んだのと相前後して、コロナ禍で、人の心の中のかなり広い範囲を「コロナ・コロナ対策・コロナに対する恐怖・・・」が占領してしまい、他の人と自分とは当然考えに違いがあるんだから、他の人と自分と考えが違っていても、その人の考えは間違っているとか考えるのは決めつけ過ぎだというような、「心のゆとり?」がなくなってしまって、みんな心がギスギスしているんだよという話を聞いた。
自分も、コロナ禍の前の感覚でイベントごとを企画しようとしている友人に納得がいかなくて、距離を置くようになってしまっています。コロナは心も蝕む病気なのかもしれないと、このごろ思い始めました。
英会話教室のネイティブ講師のC先生が、最近の授業でSNSに関して、「ボクの考えでは、Facebookはもう時代遅れだと思う。」と言いました。(この時の先生のセリフは私の超訳です。以下同じ)
私のFacebookは登録しただけで「時代遅れ」以前の代物なので、その瞬間はあまりピンとこなかったのですが、少ししてから書きたいことが浮かんできました。
2019年7月に書かれたインターネットの記事によれば、「mixiから始まり、Twitter、Instagram、LINE、最近ではTikTokなどが流行っている。ミレニアル世代を中心に流行したFacebookだったが、次の世代ではFacebook離れが進んでいる。」というのです。
これが、C先生の言う「Facebookはもう時代遅れ」という話なのだと思いました。
では、この話はどの程度当たり前となっているのか気になったので、もう少し検索を進めました。すると、「Twitter、Facebook、Instagramはもはや時代遅れ?」という記事を見つけました。この記事が書かれたのは2017年3月で、前述の記事の2年余も前になります。この記事の趣旨は前述の記事と同じようですが、「こうなるであろう」という予測の部分が多いように感じました。
さらに、これは日本だけの見解かもしれないという疑問が浮かび、「Facebook outdated」で検索すると、いくつか同じ趣旨の英文記事が見つかりました。2020年3月に書かれた記事には、「InstagramとSnapchatは人気が高まり、Facebookはスポットライトから外れた。」と書かれていました。Instagramの位置づけが、日本の記事のニュアンスとは違っているようですが、Facebookに関する部分の趣旨は同じです。
「Facebookはもう時代遅れ」という話は、日本だけでなく多分、欧米でも同じような見解だということなのでしょう。さらに言うと、C先生が日本語の記事を読むとは思えないので、このあたりがC先生のネタ元ではないかと思います。(未確認ですが)
この話を書いていて、もう少し書きたいと思ったのが、「mixiから始まり…」という部分です。2004年にサービスが始まったmixiは、「かつては流行していた」という文脈で使われることが多くなったと思います。私には、mixiをやっている人というのは、少し手間がかかってもやろうという熱心な人が多いというイメージがあります。ここで強調したいと思ったのは、大流行したものほど、いつかはそうではなくなるということです。
そういう流行のトレンドは移り変わっていくという中で、個々人でいうと常にその先端にい続ける人もいるということに気づきました。
ミクシィの取締役だった小泉氏は2013年12月にメルカリに移り、2019年9月にメルカリ会長に就任していたのです。メルカリのTVCMが盛んに流れ、メルカリが一挙に全国区になったころではないでしょうか。mixiにしろメルカリにしろ、成功の法則があって、そういうことを実現できる人は限られた特別な人だけだということでしょう。(何かうらやましいということを書きたいだけなんですが。)
「流行」というキーワードで話を展開すると、TEDx Talks 「What your speaking style, like, says about you」のことに触れてみたくなりました。このトークは2014年11月に収録されたもので、アイルランド国立大学の社会言語学者Vera Reganさんのトークです。
トークを超訳すると、「He was, like, way tall.」(彼は背が高い、みたいな…)という若者が使う言い回しがある。彼女がダブリン校に着任して、アイルランドではこの言い回しがどの程度使われているか調べたところ、アイルランド特有の表現があることを発見した。「He was way tall, like.」という表現がそれで、likeの位置がちょっと違うだけと思ってしまうかもしれないが、新しい言い回しでも語順には明確な基準があって、そこが違っているのはとても特殊なことである。それだけではなく、このアイルランド特有の新しい表現は、アイルランドに住む外国人の内、アイルランドに住み続ける予定の人に多く、世界的な若者言葉の語順を使う人は、将来アイルランドから別の場所に移ろうと思っている人に多い。
私からすると、取り立てて特別な大発見とは思えませんが、きっととても重要な発見なのでしょう。
その後、「Facebookは時代遅れ」と言いたい人の言い分がこういうことではないかと感じれれる記事を見つけました。「フェイスブックを止めたらリアルに起きた事」という内容の2019年5月の記事です。
この記事を超訳すると、フェイスブックには、フェイスブックピクセルというトラッカーが埋め込まれていて、フェイスブックを見れば見るほどターゲティングされたCMが目に入るようになり、実体験としてウェブを通して商品を買いたくなる気持ちにさせられ、この記事を書いた人は実際に多くの商品を購入した。そしてフェイスブックをやめて、フェイスブックピクセルを駆除したらターゲティング広告に悩まされることもなくなった。
実は私もこのターゲティング広告が嫌いな部類の人間です。私はYahoo検索を使うことが多いのですが、ターゲティング広告にならないよう設定を変更したのですが、起動画面上にはターゲティング広告が現れなくなったのですが、それに紐ついた画面上では結局のところターゲティング広告が現れますし、Yahooとは関係ないはずの多くのホームページにも、ターゲティング広告が表示されます。こういうことの元凶がフェイスブックピクセルというのなら、私もAnti-Facebookになるかもしれないと思います。
さらに、2021年4月に書かれた「Facebook=時代遅れは日本だけ」という記事も見つけました。中身は東南アジアでFacebookを活用したビジネスを展開できるというセミナーの紹介のようです。
私が通っている英会話教室で一緒に勉強しているフィリピン人の生徒の話では、フィリピンいる親戚、友達などとの情報のやり取りはFacebookを通じてやっているそうです。フィリピン人にとっては、Facebookはコストの安い有益な情報プラットフォームなのでしょう。
色々と思うがまま書き進めてきました。何がいいとか悪いとか、私の知識では断ずることができませんが、「Facebookは時代遅れ」というキーワードで知らない世界を垣間見ることができた気がしたという話でした。