2021年12月22日水曜日

働くとはどういうことなのか

 働くとはどういうことなのか



コロナ禍で、今までの価値観がゴロゴロと崩れていく感じがしています。例を上げれば、「年賀状」。少し前までは、今どき年賀状はあまり意味がないよね、でも、むかしからの習慣だからなかなかやめられないよね、という感じでした。ところがコロナ禍を経て、その流通量はピーク時の4割に減って、本格的な価値観の変化が起こっているようです。

さて、少し前のことになるのですが、「働くとはどういうことなのか」という疑問に答えてくれた記事を取り上げてみたくなりました。日本社会が斜陽化し始めたころ、私達はどうすればいいのかという論調だったと思います。まず英文で、その後、その元の文章を続けてみます。


<英文>

When you wanted to find a reason why you started working after graduating your university. It's difficult to explain, if you hope to express the convincing explanation. Furthermore, after belonging to your company and continuing your job a little long time, you became to feel a frustration. And, you might feel surroundings disturbed your achievement. However, the real reason of the failure was your powerlessness. 

Regardless of such unhappy fact, I recommend to start working. I suggest you, young newcomers, that you can wander around in your working situation. In some case, you may happen to meet with the chance you have never ever expected. In nine times out of ten, you get weak at your knees and cannot take the chance. And, you would feel upset about your own uselessness.

Even so, because you did wander around, you did experience the moment that you had a chance to grab a chance. And you can be proud of the fact you experienced the moment. On the contrary, there would not be the perfect job which matches you 100 percent. In my opinion, it's not necessary to present the perfect job matching 100 percent for you. If there is that moment, it's worth for you to start working.    


<日本語文>

働くということに意味を見出そうとすると中々答えが見つからないだろう。そして、仕事を続けているときっとうまく行かないもどかしさに苦しむ体験をするはずだ。まわりに振り回されうまく行かないと感じることもあるだろうが、一番感じるのは、自分自身の無力さだろう。

それでも、働くことを選ぶべきだと思う。うまく行かなくて、ぶつかった壁のまわりでウロウロしているだけでもいいじゃないか。ウロウロしていれば、偶然に思いもかけないようなチャンスが飛び込んでくることが必ずある。そしてたいていは、そんな絶好のチャンスに体がすくみうまくできなくて、自分が心底嫌になったりする。

しかしそうであっても、ウロウロしていたからこそ、チャンスをものにする瞬間に立ち会えたわけだ。そして、その事に誇りを持てる。自分に完全にマッチする仕事などこの世に存在するとは思えない。それでも、働く方がいいと考えるのは、働いていればそういう大事な瞬間に出会えるからだ。だから、働くということに私は意味があると思う。


<まとめ>

一方で、日本の社会は相変わらずこういう精神論に埋没していて、変化し続ける世界に対して競争力を持たなくなってしまっているのではないかとも思います。「甘いな」と言われそうですが、日本のこういうところが捨てたものじゃないと感じています。




2021年12月21日火曜日

Mental capacity 心のゆとり

Mental capacity 心のゆとり




最近、ある記事を読んで、もっともだと思ったことがありました。その一部を英文で再現して、文意が伝えられるかどうか試してみたくなりました。まず英文で、その後、その元となった文章を続けてみます。


<英文>

Many people were suffered badly because of COVID-19 pandemic. Not only their health but also their mental stability. There is a typical story below; this would not happen if COVID-19 didn't appear.

I happened to meet an old friend one day. We had just a chat, and at the end, I said 'let's have a drinking party some day.' Then, my old friend started to organize 'the drinking party' with other friends and decided to hold the party. I said 'but, how do you think the existence of the Omicron?' And I pointed out that it's too early to hold the drinking party.

I don't understand why, but, he said 'you are too much nervous, don't worry.' And he continued that it was important to support Japanese whole economy. I couldn't understand him, and I thought he would only like to enjoy the drinking party. I unintentionally said to him 'it's a matter of human life, do you really consider this aspect?' My old friend suddenly got bad-tempered, and said 'you are mocking me.'

What is wrong about this whole story? I can say that is his thoughtless action, or?  


<日本語>

コロナ禍で、様々な不都合が発生したが、人の心もひどい影響を受けている。たとえば、こんなことはきっとコロナ以前では起こらなかっただろう。

ある時、私は古い友人とばったり会って、ちょっと話してから、「またみんなで飲みたいね」といって別れた。するとその友人がさっそく他の友達に電話して、みんなで集まろうという話を決めてしまった。私としては、オミクロン株のこともあるし時期尚早だと思い、その友人の誘いにみんなで会うのはまだ早いよと伝えた。

ところが、その友人は私の言うことを聞いてくれないで、「心配し過ぎだよ」と言い、「日本の経済を回すのも大事だと思うね」と言ってくる。私の心の中に「ただ飲み会をしたいだけでしょ」という考えが過り、「人の命の問題なんだよ。そういうこともちゃんと考えてる?」と言ってしまい、友人はムッとして「馬鹿にしてるんだ」といった。

これは、何が悪かったのだろう?友人の軽率な動きがいけなかったのか、それとも・・・?


<まとめ>

この記事を読んだのと相前後して、コロナ禍で、人の心の中のかなり広い範囲を「コロナ・コロナ対策・コロナに対する恐怖・・・」が占領してしまい、他の人と自分とは当然考えに違いがあるんだから、他の人と自分と考えが違っていても、その人の考えは間違っているとか考えるのは決めつけ過ぎだというような、「心のゆとり?」がなくなってしまって、みんな心がギスギスしているんだよという話を聞いた。

自分も、コロナ禍の前の感覚でイベントごとを企画しようとしている友人に納得がいかなくて、距離を置くようになってしまっています。コロナは心も蝕む病気なのかもしれないと、このごろ思い始めました。




2021年10月10日日曜日

Facebookは時代遅れ?

Facebookは時代遅れ?



英会話教室のネイティブ講師のC先生が、最近の授業でSNSに関して、「ボクの考えでは、Facebookはもう時代遅れだと思う。」と言いました。(この時の先生のセリフは私の超訳です。以下同じ)

私のFacebookは登録しただけで「時代遅れ」以前の代物なので、その瞬間はあまりピンとこなかったのですが、少ししてから書きたいことが浮かんできました。


2019年7月に書かれたインターネットの記事によれば、「mixiから始まり、Twitter、Instagram、LINE、最近ではTikTokなどが流行っている。ミレニアル世代を中心に流行したFacebookだったが、次の世代ではFacebook離れが進んでいる。」というのです。

これが、C先生の言う「Facebookはもう時代遅れ」という話なのだと思いました。

では、この話はどの程度当たり前となっているのか気になったので、もう少し検索を進めました。すると、「Twitter、Facebook、Instagramはもはや時代遅れ?」という記事を見つけました。この記事が書かれたのは2017年3月で、前述の記事の2年余も前になります。この記事の趣旨は前述の記事と同じようですが、「こうなるであろう」という予測の部分が多いように感じました。

さらに、これは日本だけの見解かもしれないという疑問が浮かび、「Facebook outdated」で検索すると、いくつか同じ趣旨の英文記事が見つかりました。2020年3月に書かれた記事には、「InstagramとSnapchatは人気が高まり、Facebookはスポットライトから外れた。」と書かれていました。Instagramの位置づけが、日本の記事のニュアンスとは違っているようですが、Facebookに関する部分の趣旨は同じです。

「Facebookはもう時代遅れ」という話は、日本だけでなく多分、欧米でも同じような見解だということなのでしょう。さらに言うと、C先生が日本語の記事を読むとは思えないので、このあたりがC先生のネタ元ではないかと思います。(未確認ですが)


この話を書いていて、もう少し書きたいと思ったのが、「mixiから始まり…」という部分です。2004年にサービスが始まったmixiは、「かつては流行していた」という文脈で使われることが多くなったと思います。私には、mixiをやっている人というのは、少し手間がかかってもやろうという熱心な人が多いというイメージがあります。ここで強調したいと思ったのは、大流行したものほど、いつかはそうではなくなるということです。

そういう流行のトレンドは移り変わっていくという中で、個々人でいうと常にその先端にい続ける人もいるということに気づきました。

ミクシィの取締役だった小泉氏は2013年12月にメルカリに移り、2019年9月にメルカリ会長に就任していたのです。メルカリのTVCMが盛んに流れ、メルカリが一挙に全国区になったころではないでしょうか。mixiにしろメルカリにしろ、成功の法則があって、そういうことを実現できる人は限られた特別な人だけだということでしょう。(何かうらやましいということを書きたいだけなんですが。)


「流行」というキーワードで話を展開すると、TEDx Talks 「What your speaking style, like, says about you」のことに触れてみたくなりました。このトークは2014年11月に収録されたもので、アイルランド国立大学の社会言語学者Vera Reganさんのトークです。

トークを超訳すると、「He was, like, way tall.」(彼は背が高い、みたいな…)という若者が使う言い回しがある。彼女がダブリン校に着任して、アイルランドではこの言い回しがどの程度使われているか調べたところ、アイルランド特有の表現があることを発見した。「He was way tall, like.」という表現がそれで、likeの位置がちょっと違うだけと思ってしまうかもしれないが、新しい言い回しでも語順には明確な基準があって、そこが違っているのはとても特殊なことである。それだけではなく、このアイルランド特有の新しい表現は、アイルランドに住む外国人の内、アイルランドに住み続ける予定の人に多く、世界的な若者言葉の語順を使う人は、将来アイルランドから別の場所に移ろうと思っている人に多い。

私からすると、取り立てて特別な大発見とは思えませんが、きっととても重要な発見なのでしょう。


その後、「Facebookは時代遅れ」と言いたい人の言い分がこういうことではないかと感じれれる記事を見つけました。「フェイスブックを止めたらリアルに起きた事」という内容の2019年5月の記事です。

この記事を超訳すると、フェイスブックには、フェイスブックピクセルというトラッカーが埋め込まれていて、フェイスブックを見れば見るほどターゲティングされたCMが目に入るようになり、実体験としてウェブを通して商品を買いたくなる気持ちにさせられ、この記事を書いた人は実際に多くの商品を購入した。そしてフェイスブックをやめて、フェイスブックピクセルを駆除したらターゲティング広告に悩まされることもなくなった。

実は私もこのターゲティング広告が嫌いな部類の人間です。私はYahoo検索を使うことが多いのですが、ターゲティング広告にならないよう設定を変更したのですが、起動画面上にはターゲティング広告が現れなくなったのですが、それに紐ついた画面上では結局のところターゲティング広告が現れますし、Yahooとは関係ないはずの多くのホームページにも、ターゲティング広告が表示されます。こういうことの元凶がフェイスブックピクセルというのなら、私もAnti-Facebookになるかもしれないと思います。


さらに、2021年4月に書かれた「Facebook=時代遅れは日本だけ」という記事も見つけました。中身は東南アジアでFacebookを活用したビジネスを展開できるというセミナーの紹介のようです。

私が通っている英会話教室で一緒に勉強しているフィリピン人の生徒の話では、フィリピンいる親戚、友達などとの情報のやり取りはFacebookを通じてやっているそうです。フィリピン人にとっては、Facebookはコストの安い有益な情報プラットフォームなのでしょう。


色々と思うがまま書き進めてきました。何がいいとか悪いとか、私の知識では断ずることができませんが、「Facebookは時代遅れ」というキーワードで知らない世界を垣間見ることができた気がしたという話でした。





2021年9月11日土曜日

TOP NOTCH 2 始めました その2

TOP NOTCH 2 始めました その2




 前回同様、気になるフレーズをピックアップしてみました。


(1) at the end of the day

インターネットの「アメリカ生活101」より、「at the end of the day の意味と例文」を参考にしました。この記事によれば、「話し手が何か一番大事なことを話す前に使われる前置きフレーズ」とのことです。

例文と日本語訳

At the end of the day, the most important thing is that we are all well and alive.

「最終的に、一番重要なのは私たちが元気で生きているってことだ。」


ですが、TOP NOTCH 2の表現は少し違っていました。

ヘアスプレーの宣伝のための短いコメントで、その中でこのように使われていました。

Man:  Apply twice before going out. Your hair will look as good at the end of the day as it does when you step out.


このように文の中に入っている例は、インターネットでは発見できませんでした。

この例は、たまたまイディオムとして存在している「at the end of the day」の語呂を生かして、本当に「その日一日の終わりでもバッチリ」と言っているだけなのでしょうか。


(2) you only live once

この表現はインターネット上で大人気です。30を超える記事を見つけました。

この表現の頭文字「YOLO」を有名人が流行らせたようで、そちらの内容が中心の記事も多く存在しました。


「3040ENGLISH」より「「人生は一度きり」=YOLOの英語表現」によれば、冒険的なことを勧める場面で使われる表現のようです。


TOP NOTCH 2では、

Woman1: Want to try some (chocolate sweets)?

Woman2: Thanks. But I think I'd better pass.

Woman1: Come on! It's really good.

Woman2: OK. Make just a bite.

Woman1: Hey, you only live once!


「何言ってんの。もっと楽しみなさいよ。」みたいな感じでしょうか。


(3) the same old grind

「PC cafe」より「daily grind と come under scrutiny (2)」によれば、「grind」とはもともと「石うすを回して粉をひくこと」の意だが、転じて「(同じことの繰り返しで、精神的にも肉体的にも消耗する)辛くて単調な営み」の意味にも使われるようになったとのことです。また、主として「仕事」や「勉強」について使われる表現のようです。

 

TOP NOTCH 2では、

Man1: You look down. What's up?

Man2: I'm just tired of the same old grind.


始めた当初は新鮮だったTOP NOTCH 2も慣れていくにしたがってマンネリ化してしまったかもしれません。また別のテキストにも挑戦したいと思います。




2021年8月9日月曜日

TOP NOTCH 2 始めました その1

 TOP NOTCH 2 始めました その1



コロナ禍の闇は思いのほか深く、しばらく以前の生活にもどれそうもありません。今回の記事も自己学習のテーマですが、最近「TOP NOTCH 2」を購入しました。まだ始めたばかりですが、気づいたことを取り上げていきたいと思います。

まずは、いくつかのフレーズをピックアップしてみます。


(1) What is (was) that like?

インターネットの「アメリカ人が選んだ英会話フレーズ」より、「What's that like?:それってどんな感じ」の助けを借りました。この記事によれば、「漠然とした感じや印象などを尋ねる場合のフレーズ」とのことです。

このテーマを取り上げたインターネット上の他の記事には、「What is ~ like?」というフレーズについてのものがいくつかあるようですが、「What is (was) that like?」と "that" が用いられる型を取り上げているのは、上記のHPだけのようです。

では、実際にTOP NOTCH 2にはどのような表現で登場したのでしょうか?


Man:     You told me earlier you've been to India. What was that like?

Woman: Oh, India is fantastic. 

Man:     And what was so different about it? ・・・


確かに、男性の問いに対して、女性は漠然とした印象を尋ねられたと判断して"fantastic"で返答しました。男性はそれを受けて追加の質問をして本題に迫ります。

TOP NOTCH 2で学ぶ側からすると、不要なジャブが1回余分にあるだけなのですが、実際の会話はきっと、「漠然→焦点を絞る」というつながりになるのでしょう。


(2) Thank goodness.

インターネットの「アメリカ人英語講師ローラが解説/英会話/初中級者専門」より、「(アメリカ人が解説)Thank god!よりThank goodness!を使う理由」取り上げてみます。この記事によれば、「聖書の中に"God"という言葉を「あまり使ってはならない」という教えが書かれているために、人によっては不快感を覚えてしまうので、会話の中では避ける人もいる。」とのことでした。

インタネット上ではこのフレーズに関しては10余の記事が存在するようで、関心の高さがうかがわれます。大きく分類すると、上記のように宗教上の表現を避けるという文脈のものと、色々な場面の色々な気持ちを表現するフレーズとして使えるという2つのパターンがあるようです。

では、実際にTOP NOTCH 2にはどのような表現で登場したのでしょうか?


Man:     I'm so sorry. I went to bed after two last night and I didn't hear the alarm clock ring.

Woman: The meeting starts in fifteen minutes! Thank goodness you're here now.


「本当によかったわ。とにかく間に合ってくれて。」という感じでしょうか。インターネット上の記事により日本語訳の表現が少しずつ違いますが、根底にあるのは「ほっとした」という意味合いのようです。


(3) I'm game.

インターネットの「Hi Career」より、「"I'm game."ってどういう意味?」を取り上げてみます。この記事によればこのフレーズは、「ネイティブがよく使う表現で、「是非やりたい。」というニュアンス」とのことです。

このフレーズに関する記事も、インターネット上に10余存在します。日本人の発想では、"game"という単語は、スマホゲームとか、ゲームセンターの「ゲーム」を表現する単語というイメージでしょう。多くの記事は、「乗り気な」という意味の形容詞でもあるというギャップ感を強調する内容になっているようです。

では、実際にTOP NOTCH 2にはどのような表現で登場したのでしょうか?


Man:     Let's download a movie to watch. It's too cold to go out. What do you think?

Woman: I'm game.


日本語訳なら「そうね、賛成。」みたいな感じでしょうか。


(4) You've got to be kidding.

インターネットの「RYO英会話ジム」より、「"You've got to be kidding me"の意味とその使い方(受け入れられないときに)」を取り上げてみます。この記事によれば、「このフレーズは「冗談でしょ。」や「嘘でしょ。」という意味」とのことです。

このフレーズに関する記事は、似たような表現を含めるとインターネット上に30余も存在します。これだけ多く取り上げられているのは、このフレーズが日本人の感覚的にもマッチするからだろうと推察します。

内容的には、"I'm kidding."のような、"kidding"の別の表現や、"joking"を使っても同じような表現になるという内容の記事と、海外ドラマで頻出のフレーズらしく、そのドラマの第何話でこういう場面で登場しているというものが主です。実際にどのようなタイミングで出会ったのかは覚えていませんが、この表現を聴くか、見るかしたことがあったように思います。

では、実際にTOP NOTCH 2にはどのような表現で登場したのでしょうか?


Woman: Let's go to the movies.

Man:     OK. You've got the newspaper right there. What's playing?

Woman: Hmmm. Let's see. Hey! What about "✕✕✕ (a horror movie)."

Man:     Stop that! You've got to be kidding. You know I hate those scary pictures.


日本語訳なら「冗談はやめてくれ。」みたいな感じでしょうか。  


今回取り上げたような「くだけた」表現は、意図的に使わない限り、今の自分では使いこなせません。かといって、無理して使おうとすると、使う相手や、使うタイミングを間違えてしまいそうで少し心配です。でもがんばってトライしてみたいと思います。





2021年4月22日木曜日

コロナ・パンデミックは予言されていた。(TEDx Talks に学ぶ・その7)

 コロナ・パンデミックは予言されていた。(TEDx Talks に学ぶ・その7)

今回の題材は、「The next out break? We're not ready/Bill Gates」です。

話をするのは「Windows」を開発した、あの「Bill Gates」です。彼は「Microsoft」から引退してからも様々な分野で活躍しているようです。そして、彼の関心は感染症の克服にも向けられていたのです。




このスピーチは2015年に収録されたものです。前年に克服された「Ebola」ウイルスによる新しい感染症を振り返って、この出来事は次の桁違いのパンデミックを警告する出来事だと述べています。天才の頭脳をもってすれば次の危機を見通すこともできるのでしょうか。

彼は言います。

If anything kills over 10 million people in the next few decades, it's most likely to be a highly infectious virus rather than a war.

そして、献身的な努力の結果、アフリカの数か国の中だけで感染を食い止めることができたわけですが、できなかったことも多いと警告しています。

The case reports came in on paper. It was very delayed before they were put online and they were extremely inaccurate.

今の日本の感染対策を見ると、「Ebola」からは何も学んでいないんじゃないかと思ってしまいます。ニュースに発表するための、何人の感染者が出たというような情報ではなく、個々のクラスターで感染が誰から誰へどのように広がり、どのように収束したのかというような研究は進んでいるのでしょうか。

If we start now, we can be ready for the next epidemic.

彼はそういってこのトークを終わりましたが、それからの5年間、彼が言う「start」はどの国も切っていなかったようです。そして今もまだ危機の真っただ中にいるわけですが、次につながるような画期的な感染拡大を防ぐ対策や知見はまだ得られていないと言わざるを得ないでしょう。



2021年4月13日火曜日

ゴールをどこに設定するか。(TEDx Talks に学ぶ・その6)

ゴールをどこに設定するか。(TEDx Talks に学ぶ・その6)



今回は複数の「TEDx Talks」を取り上げます。取り上げる題材は、

「How to learn any language in six months/Chris Lonsdale」・(短いフレーズで区別するため、「In six months」と呼ぶことにします。)

「Why we struggle learning language/Gabriel Wyner」・(同「Struggle learning」)

「How to talk like a native speaker/Marc Green」・(同「Native speaker」)

「Learning a language? Speak it like you're playing a video game/Marianna Pascal」・(同「Video game」)

「One simple method to learn any language/Scott Young & Vat Jaiswal」・(同「Simple method」)の5つのトークです。

いずれのトークも、「どうやったら第二言語がしゃべれるようになるのか」というのがメインテーマです。しかし、その内容には大きな違いがあります。なぜ、共通のテーマにいくつもの処方箋が示されるのでしょうか。今回は、それぞれのトークの「立ち位置の違い」、「ゴール設定の違い」、「プロセスの違い」を比較してみたいと思います。そして最後に、自分の立ち位置、ゴール設定を振り返ってみたいと思います。


「立ち位置の違い」

「In six months」:大学の心理学教授と思われる。「6か月でどんな外国語も学べる」メソッドの普及に努めている。第二言語は中国語でネイティブレベルらしい。

「Struggle learning」:具体的な職業不明。第二言語は6か国語かそれ以上。レベルに関するコメントはない。

「Native speaker」:具体的な職業不明(語学講師かも?)。第二言語は5か国語かそれ以上。ドイツ語は母親がドイツ人で、生まれついてのバイリンガル。他の言語のレベルに関するコメントはない。

「Video game」:語学教師と思われる。英語を教える立場で、自身の第二言語に関するコメントはない。

「Simple method」:学生と思われる。第二言語は4か国語かそれ以上。3ヵ月づつ集中学習したばかり。


「ゴール設定の違い」

「In six months」:どんな外国語でもネイティブレベルまで6か月で習得する。

「Struggle learning」:外国語習得のポイントは、単語学習に視覚的イメージや体験を絡めることで、それを体得することがゴール。レベルに関するコメントはない。

「Native speaker」:外国語習得のポイントは、詰まるとこ正しい発音。ネイティブレベルをめざす人が対象のトーク内容。

「Video game」:コミュニケートの道具として割り切ることが大切で、ネイティブレベルになることは必要ない。

「Simple method」:外国語学習時に、母国語禁止ルールを用いると上達スピードを上げられる。ネイティブレベルをめざすことを端から考慮していない印象。


「プロセスの違い」

「In six months」:5つの原理、7つの実践を行うことで習得する。私の印象では、結局はランゲッジ・ペアレントを見つけて方向づけてもらうことがポイントに思われる。

「Struggle learning」:話者の体験は感動的だが、冷静に考えるとインターネットの語学学習に自己流の工夫をすることで、上達の壁をクリアした印象を受けた。

「Native speaker」:ネイティブレベルに達するには極論すればネイティブの真似をすることに尽きるという話だと思われる。

「Video game」:国全体の英語能力の向上が急務の国々の学習者は、うまくしゃべることよりどう使いこなすかに頭を切り替えて学習すべきという話だと思われる。

「Simple method」:体験報告が主な内容で、どうすべきかという理論的なところはグラグラしている。母国語禁止ルールの有効性を強調しながら、そこまでしなくてもできることからやりましょうという結論になっている。


この記事の構想中に、「英語独習法」・今井 むつみ<著> 岩波新書 の書評を読みましたので、その話を初めに書きたいと思います。書評を介しての理解ですが、著者の主張は、英語と日本語の根底にある土台構造の違いを理解できなければ、本当に英語を理解できたとは言えないということのようです。

この主張は私レベルの学習者でも時折感じることがあります。一例を取り上げると、「TEDx Talks」のビデオを見ていて、なぜ観客がそこで感動したり、拍手したりするのか、英文を読み、分からなければ日本語訳を読んでも、観客の受けた印象が何だったのか理解できないことがあります。

逆に日本語を英文化することを考えると、この「理解できなさ」のわだかまりのようなものが説明できるかもしれません。たとえば、「物事をザックリと理解する」という表現を英文化したとします。「ザックリと」を、辞書で調べてroughlyと訳せるということで終わっていたのでは日本語の土台構造が理解できたとは言えないでしょう。

話者は「ひとまず詳細は抜きにして概要を」という表現としてこの言葉を使ったのでしょうが、この言葉には「ザックリとした仕上がり」とか、「ザックリと盛り付ける」とか、様々な場面での別の意味合いの使用例があります。日本人はそういう使用例の印象を頭の片隅のどこかに持っていて、この表現が発話された時に、話者の言葉選びに納得したり、納得できなかったり、そういうことも含めてこの表現を受け止めるのだと思います。

「ザックリと」=roughlyから抜け出せないままでは、「TEDx Talks」の観客の感動や拍手が理解できないと思うのです。


「自分の立ち位置、ゴール設定」

頭でっかちに英語学習を進めてしまっていますので、色々なことが邪魔をして、純粋に英語が使えることをめざす学習法になっていないのは分かっているつもりです。さらに言えば、自分の年齢と現在の理解力を考慮に入れると、ネイティブレベルの英語習得が達成可能と考えるのは楽観的過ぎでしょう。

せめて日常会話をたどたどしくならない程度でできること、そして中断している「英語ボランティアガイド」が再開した時には、ゲストの理解に応じたトークができるガイドとして、成長出来たらいいと思っています。



2021年3月16日火曜日

TEDx Talks に学ぶ その5

 TEDx Talks に学ぶ その5

今回の題材は、「Speak like a leader/Simon Lancaster」です。

日本語のタイトルだと、「修辞学の復活」です。それだけだったら難しそうだし、視聴しなかったと思います。「Speak like a leader」の方がいいと思います。その方が、どんな話なのか気になります。



このトークを選んだのは、「どうしたら英語の能力が上がるか?」という話ばかりでは面白くないと思ったからです。

話は面白いのですが、何が違うのかうまく表現できませんが、今までよく聞いている英語と何かが違うような印象を与えるスピーチでした。確信はありませんが、演壇に立っている人物がイギリス人で、話されている言語もイギリス英語なのではないかと思います。


さて、話の主題のリーダーとはだれを指すのでしょうか?

どうやら、ウインストン・チャーチル、ディビッド・キャメロン、トニー・ブレアなどがが引き合いに出されますので、政治家のことを指しているようです。

リーダーの話し方には共通した特徴があり、それは人を引きつけるための(修辞学の)テクニックを駆使したものになっているというのです。そしてその特徴は何かという話が展開します。


特徴の1つが、「Metaphor(隠喩)」です。

The Arab Spring(アラブの春)」、「The Calais Jungle(カレー市のジャングル)」、「The financial storm(金融界の嵐)」などです。「アラブの春」は知っていましたが、「カレー市のジャングル」、「金融界の嵐」は知りませんでした。

取り上げられる題材の1つ1つがとても難しいように思えるのですがどうでしょうか?


Rhyme(韻)」も特徴の1つです。

ちょっと古い話題に感じますが(このスピーチは2016年に録画されたようです) 、OJ・シンプソンの裁判で有名になったセリフが出てきます。

If it doesn't fit, you must acquit.

この裁判の内容は知りませんでしたので調べたところ、「殺人事件の証拠の手袋がOJ・シンプソンの手に比べて小さすぎ、それが犯人のものなら、OJ・シンプソンは犯人ではない」という弁護のスピーチが韻を踏んだ表現になっていたということのようです。そして、表現が韻を踏んでいて、かつシンプルだと、その話が信じてもらいやすいという調査データがあるそうです。

もう1つの面白い例として、「I before E except after C」という覚え歌が紹介されています。この覚え歌が何を意味しているのか、何回も調べていく内にやっと何の話なのか分かりました。

(「七尾藍佳のExpress Yourself」のHP内の、「I Before E Except After C♪ 覚え歌で攻略する英語スペリング」が分かりやすいです。)

このスピーチによれば、44の正しい例と、900の正しくない例が存在するそうです。興味を持ったので少しだけ挑戦してみましたが、私の知っている英単語の範囲では、正しい例の方が多く、正しくない例の方が少ないように思いました。


このスピーチ自体も、「隠喩」や「韻」、その他の修辞学上のテクニックを駆使していています。全体の流れは分かるのですが、細かい部分で何を言わんとしているのか理解しようとすると、とても手ごわい内容になっています。

この講演が、イタリアのベローナ市で行われたことに脅威を覚えました。「イタリア人は果たして、こんな難しい表現に満ちた講演を1回聞いただけで理解できるのだろうか」と言った方がいいかもしれません。

このスピーチを聞いたころ、「A Room with a View(眺めのいい部屋)」という小説を、たまたま読んでいました。そこで、もしかしたらと思える文章を見つけました。

というのは、その小説の中で、主人公がイタリアの「Florence(フィレンツェ)」を旅行するのですが、イタリアにはイギリス人移住者の大規模なコミュニティがあるようなのです。その物語の設定は20世紀初頭で、そのころからイギリス人はイタリアに数多く移住していたようです。

だから、このTEDx講演も、イタリアのベローナ市のイギリス人移住者を主な観客として行われていたのではないか、だからこんな難しい内容でも観客の笑いを取れるのではないかと思いました。(もしくは、難しく感じたのはもっとしっかり勉強しなさいと言う啓示なのかも…。)




2021年3月7日日曜日

TEDx Talks に学ぶ その4

 TEDx Talks に学ぶ その4

今回の題材は、「Why We Struggle Learning Language/Gabriel Wyner」です。




フランス語をかなり学んでフランスを訪れた際、まだ学校に行っていない5歳の少女に文法のミスを指摘されたという話からスタートします。その5歳の子は計算上は15000時間フランス語にさらされているのに、自分はフランス語教室で何時間勉強してきたのかと自問します。

それを聞いてこの私はどれほどの時間英会話とつきあってきたのだろう?英語の授業を日本語で聞く時間を含めずに、純粋に英語を何時間聞いてきたのだろう?と反省させられます。

導入からそんなグサッとくる質問に反省させられながら話を聞き続けると、その後はどのようにしていくつかの外国語をマスターしてきたか、その肝となるのは何かというお話でした。


今回取り上げたいのは、以下の文章です。

Well, let's return to where I was with French. My situation was as follows: I was taking two master's degrees, one in song, one in opera, and so I had six days of class a week. My only free time was an hour a day on the subway, Sundays, and Austrian national holidays, on which, thankfully, there were many.


このスピーチには日本語訳がありませんので、自分の力で解釈するしかありません。

前半に、エンジニアになろうと思ったが、音楽が好きでそちらを学ぶことにして、おまけに語学学校で複数の語学を習得するコースに参加した話がありました。song」とか「opera」とかはその話の延長です。

直前のトークは、スカンジナビアのバーで聞いた単語は印象深く、ハンガリー語の教室で聞いた単語は印象が薄いという話でした。

そうやって学んで、今どの立ち位置にいるかという話の導入部分であろうと想像しました。ドイツ語や、イタリア語はマスターしたが、フランス語で手こずっているようでした。そしてこの時はまだ、フランス語の習得には至っていないようです。


それで、問題の文章ですが、何を言いたいのか分かりませんでした。「1週間の内、6日間勉強していて、空き時間は地下鉄での1時間と日曜日と祭日だけでした。」と言っているように思います。でもなぜそういう状況の説明をこの瞬間にするのでしょうか?

その後、インターネットを使った学習を続け、語学学校の講師のインタビューでフランス語で考えながら会話ができ、1つハードルを越えたという話に続きます。敢えてこの内容をスピーチの中でしたのは、そういう状況だが、めげずに頑張ったと言いたかったのでしょうか。

自分だったら、後半の説明につながらないのなら割愛しそうな内容です。突然、「毎日1時間しか自由時間がなかった。」と言われれば、ストーリー展開上重要な意味合いがあると思ってしまいます。ここのところで、書かれた通りの表現の意味は分かるが、何か重要なことを理解できていないのではないかと猛烈に不安になりました。

同様に他のスピーチを聞いた時でも、言外の意味をくみ取っていないのではないか、正しい意味を取り違えているのではないかと不安になる瞬間が何度もあります。見えない敵におびえすぎのようにも思いますが、そうでないかもしれません。そういう時は、確信が持てるヒアリング能力を確立するまで、今日もがんばるしかないなと割り切ることにしています。




2021年3月2日火曜日

TEDx Talks に学ぶ その3

TEDx Talks に学ぶ その3

COVID19の蔓延のため、ボランティアガイドは活動拠点に入ることすらできなくなりました。そういう状況がいつまでも改善しないため、このブログも更新するのを怠っていました。もう一度TED×Talksを聞き始めましたので、最近感じたことを書こうと思います。




今回の題材は、「How to learn any language in six months / Chris Lonsdale」のスピーチです。どんな外国語も、彼のメソッドを忠実に行えば6カ月でしゃべることができるというのはとても魅力的な提案です。

大筋の流れは何となくつかめました。子供の時どうだったか、中国へ行って中国語をネイティブレベルでしゃべれるようになったこと、そこから彼のメソッドがどうつながっているのかという説明になります。話題が身近な感じで、流れもとらえやすく何となくわかった気がします。

ところが、肝心なところになると彼は急に早口になって、彼が何を言いたいのか分からなくなります。それが重要な情報なのか、大筋の流れさえつかんでおけばいいのか分からなくて心配になります。

例えばこうです。

And you've just learned that this...is important, it's relevant because it means this, and anything that is related, any information related to your survival is stuff that you're going to pay attention to and therefore you're going to remember it.

(日本語訳では、「あの木にあった傷は、恐ろしい熊を示すので、自分に関わり、重要なものだと学ぶわけです。どんな情報でも自分の生命に関わるなら注意を払うでしょうし、記録に残るのです。」となっています。) 

もちろん、スクリーンに熊が木につけた爪のあとの写真、巨大なグリズリーの写真が説明に沿って出てきますから英語力があれば分かると思います。私の理解を告白すれば、最初の「this」は「木にあった傷」で、次の「this」は「熊」だと思いますがそれであっているでしょうか。

次は、「anything that is related (to your survival)」、「any information related to your suvival」だと思います。そして後半の「stuff that you're going to pay attention」、「(stuff that you're going to remember it」の()で補った解釈はあっていますでしょうか。 

この記事を書いていて思ったのですが、日本語で書く場合なら写真があろうと敢えて言いたいことを強調しようとして、「木に刻まれた爪のあと」、「恐ろしい巨大な熊」という言葉を使うのではないでしょうか?

この文章で「this」を使うのが、この話者の特有の表現なのか、英語の一般的な表現なのかは分かりません。しかし、私にとっては、ここで言いたいであろうことがすぐに頭に入ってこないし、重要な情報だという理解の妨げになるようです。何度聞いても、「this」や「that」ばかりが行き来してしまい、日本語訳を読んでやっと納得というのが正直なところです。

漠然と感じているのは、英語の表現と日本語の表現には今まで学んできたこと以外にも、もっと違いが潜んでいるということです。TED×Talksを聞くことが、そういうことの理解につながればいいなあと思います。