2023年6月2日金曜日

不自然な言い回しについて

不自然な言い回しについて




数日前のことですが、ある新聞の読者欄に、外国から日本に来て日本語学校で学んでいる人たちの意見を集めた特集がありました。その一つを読んで、とても感銘を受けたので、自分の意見を書きたいと思った次第です。

その投稿によれば、この投稿者が習得しようと努力している日本語学習に関して、「日本語の初中級のテキストは実際に使うことのないような表現ばかり」で、上級になると逆に、「答えにたどりつくまでに似たような選択肢を罠のように仕掛けてくる」ような「不自然に作られた日本語」ばかりだと感じているようでした。その上、「実際に日本人と話してみると、簡単な言葉しか使ってくれなくなる」ので、フラストレーションがたまるというような内容でした。

この投稿を読んで、彼の言いたいことは、何となく分かったような気がしました。そして、この投稿者の結論は、その状況を克服して、自然な日本語と触れ合うことを期待するというようなものでした。

私は、この分析はまったくその通りだと思うが、それが日本語学習の妨げになるかどうかは別問題ではないかと思いました。不自然とわかるということは、自然な表現との違いが認識できるレベルに達しているというということではないでしょうか。

話を
私の英語学習に無理やり当てはめてみますと、私のスタンスは、もともとネイティブの英語を習得するのは無理であって、伝えたい内容さえ中身のあるものであれば、初中級の英語とわかってしまっても、話題のそれなりの深さはわかってもらえるはずだというものです。この投稿者の意見とはあまりにも違っています。

とはいえ、私の英語学習の状況がより上級のレベルまで上達すれば、この投稿者のような「満足できない」というイメージを共有できるようになるかもしれません。


 

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