蔵出しダイアリー 「ヨーロッパ」
2008年10月ごろから数年間書き貯めたダイアリーを捨てられずに残していていた。そのころ何をしていたのか思い出せるような気がして公開することにした。誤解されるような表現は避けたつもりだが、理解不能な部分があればご容赦願いたい。第一弾は、「ヨーロッパ」について書き貯めた部分だ。
2008年10月22日のダイアリー
フローラ・ルイスの「ヨーロッパ・統合への道」という本を読み始めた。序文にある「ニュースや刻々と変化する行方を見る上で、この本から有益な知識が得られるだろう。」という予言の意味が、読み始めて数十ページ進んでも、何を指しているのか分からなかった。
67ページの記述、「イギリスでの平等主義は、これまた一風変わっていて、伝統的な特権や習慣を守る権利がだれにも平等にある、ということを意味している。1983年に、自動車会社のブリティシュ・レイランドのある工場が、数か月にわたるストライキで閉鎖された。このストライキの理由は、経営者側が、6分間の『手洗い時間』の権利を労働者から取り上げようとしたことにあった。労働者側は収入がなくなることを意味する工場閉鎖の脅しをかけられても、一度『勝ち取った』権利を放棄することはご免だという態度を曲げなかった。」を読んで、彼女がこの本で何を説明しようとしているのかやっと分かった気がした。
その後、フォークランド紛争でのイギリス政府の頑な態度と、それを支持する国民の頑なさ。警官に武器を持たせるか否かの論争がなぜそれほど盛り上がったかの理由もすべて同じ「根っこ」(国民性)に根ざしている。ヨーロッパで長く生活したアメリカ人である著者には、外からイギリスを眺めているだけの人々には分からない本質的な部分に関する理解がある。その様な事をヨーロッパを構成するであろうすべての国について改めて記述してみようという壮大な試みなのだ。
読み進めていく中で、その試みが安きに流れつまらない通り一遍の記述にならないか注意して読み進めてみたいという強い意気込みで臨んだが、残念なことに、最後まで読み切ることはできなかった。
話は変わるが、今日の朝日新聞朝刊の第一面に、アイスランドで円建てのローンを組んだ人の返済額が突然倍になったというニュースが出た。日本の金利は世界的に見て低いので、その低い金利でローンを組むという商品を、アイスランドの銀行が開発する。為替の相場が安定しているときは問題ないのだが、今回の「世界同時金融危機」で、国家の体力が不安視されるアイスランドの通貨が値下がりし、年初の相場の約半分になってしまったというのがニュースの種明かしだった。
かつては日本円も弱い通貨だったから基軸通貨の乱高下に一喜一憂していたが、むしろ今は一定の強さを維持できる準基軸通貨となっている。もっと身近に対象を捜せば、流行っているオーストラリア通貨での預金も同じではないか。オーストラリアは円相場的には安定しているし、むしろ少し前まではオーストラリアドルの方が高めで、円の方が安くなっていた。一方で、預金の金利は日本に比べればかなり高いので、オーストラリアドルでの預金は、ダブルで有利という話だった。
ここ数年はその通りだったと思うが、ここに来て約20パーセントの下落が発生しており、いくら金利が高かろうと、すずめの涙にしかならない可能性が出ている。これは、オーストラリアがどうとか、アイスランドがどうとかという問題ではない。不安定さが相場で利益を上げる源泉であるというのが金融商品のうたい文句ではあるものの、一定レベル以上は破たんしないということが前提なのだ。
為替の差益を前提にした金融商品は、かなりのリスクがあるという警告や警句がいろいろな場で紹介されていたような気がする。一方で、アイルランドの今回の問題のような具体的な事例を積極的に紹介するようなことは、それまでのニュースにはなかったかと思う。
アイスランドの人口は30万人しかおらず、先ほどの金融商品を取り扱っているアイスランドの銀行は、アイスランドのGDPの10倍もの金融商品を取り扱っているのだという。それでは国家による企業への損失補てんという「禁じ手」を打とうと思ったとしても、アイスランドという国ではできないのだ。アイルランドは、国家自体が自己破産者ということになってしまった。数年前までは、一人あたりの収入で見たとき、世界でもっとも裕福な国だったのにである。
そういうことは、モラルハザードが崩壊した今回のような事態の後でしか情報公開されないのはなぜか?情報公開されているのに、そういう負の方向の結果に思い当たらないだけなのか?それとも、不安を煽るような記事は認められないのか?
このニュースの少し前に、NHKの海外ニュースだったと思うが、イギリスの郊外都市の行政機関が市の取扱銀行をアイスランドの銀行にしてしまったため、今回の金融危機で預金引出を止められてしまい、破綻の危機に瀕しているというニュースがあった。その時は危機感を十分理解できなかったが今回はよく分かった。
2009年2月20日のダイアリー
イギリスに出稼ぎ労働に来ていたポーランド人の悲惨な状況をつづったドキュメンタリーを見た。イギリスでは皿洗いなどの雑務でもいくつか職を重ねれば、月20万円程度になり、これはポーランドの月給の5倍にもなるらしい。それが今回の金融危機で彼らのほとんどが解雇されてしまったらしい。そう言えば昨今、日本人の派遣社員の解雇も話題になっている。
ポーランドでは、少し前までは好景気だったイギリスなどへの出稼ぎで労働力が減少してしまったため、ウクライナなどからの出稼ぎを受け入れていた。そこへ今回の事態が起きて、今ではイギリスからの帰国組と、ウクライナからの出稼ぎ組との間で軋轢が生じてしまっているらしい。ウクライナ人にしてみると、ポーランドでは自国の5倍の給料が稼げるらしい。ウクライナはいったい月給がいくらなのか?イギリスを追われて帰国したポーランド人の青年は5万円程度の月給の口が見つからないままで、そのドキュメンタリーは終わってしまっていた。
ヨーロッパはどれだけ悲惨なのだろう?小説や映画で知っているヨーロッパは考えられないほど満ち足りているように思えたのに、あれは何だったのか?この悲惨な状況は、思っていた以上に深刻で、長引くのかもしれない。
2009年6月6日のダイアリー
今、ジョン・ル・カレの「スクールボーイ閣下」という小説を読んでいる。政治家の河野太郎がメールマガジンで「スクールボーイ閣下」を取り上げた事があって、「スクールボーイ閣下」はどういう小説なのだろうと思っていて、最近やっとその本を見つけることができたのだった。スパイの話ということは分かっていたのだが、小説の舞台は香港で、中国の要人が出てくる類のものだった。「龍のちぎり」など、同じようなテーマで日本人が書いた小説もあり、日本人も大好きなテーマだ。物語の時代設定は1973~74年と思われ、初版は1977年だ。
ベトナムやカンボジアも出てくる。カンボジアには日本人の商社マンがいて、主人公のスパイは彼らの会話に耳を傾ける。そのエピソードを読んだ時、団塊の世代の会社員が定年を機に自分の人生を振り返って書いた随筆の記述と重なる部分があるような気がした。随筆の作者は戦争間近の中東で、石油採掘プラント開発の商社マンとしてぎりぎりの人生を送ってきていた。
この小説では、当時のタイは共産党員が多くいて治安が不安定だと描かれていた。そのタイの地方に隠れている敵幹部を、主人公のスパイが訪ねるシーンがあった。「バリ島へ行ったことがあるか?」と敵の幹部が言う。そして続ける「ラオスは皆殺し、ベトナムは田舎まで丸焼け、だからおれはバリ島に土地を買ったんだ。」
今のベトナムが、日本人観光客の主要なターゲットに変貌するとは、この時点の誰も知る由もない。ましてや、カンボジアが日本のPKOで復興し、逆に今のバリ島はアルカイダの主要なターゲットとして、何度も爆弾による大量殺りくが起こっているなどとはだれが想像できよう。
香港もついに中国へ返還されてしまってはいるのだが、その二重国籍的な魅力は失われてはいない。イギリス自身も、主人公の上司、ジョージ・スマイリーが危惧していた通り、世界の主要メンバーというより、二線級になって久しい。
少し前になるが、ジョン・ル・カレの作品をいくつか続けて読んだことがあった。その一冊、スマイリー三部作の最後を飾る「スマイリーと仲間たち」は、小説の出来としては「スクールボーイ閣下」より上だと思う。なによりコンパクトで、焦点がはっきりしているし、敵の大物をついに捕らえるところも三部作の最後らしくていい。
最後のシーン、ソ連のスパイ組織の親分が身内からの粛清を恐れ、自分の家族の保護を条件に、東ベルリンと西ベルリンの境界へやってきて投降する。そのひと時代前の情景描写に、作者ジョン・ル・カレの苦悩を見ずにはいられない。彼の小説は、東西対立があってのものだったから、それがなければ作家として描くものがないのだ。
その苦悩は、次作と思われる「シングル&シングル」で、如何ともしがたく伝わってくる。物語は、情報公開、民主化で変化しつつあるソ連、そしてロシア。その大物とイギリスの投資会社との付き合いに焦点が当てられている。イギリスの投資会社は将来有望なロシアの大物にくらいついて利権をむさぼろうとするが、その大物が失脚、残されたのは、武器や麻薬の密輸で損を埋めることだった。
主人公は、かなりすれていて、投資会社の社長を父親に持つ元弁護士で今は世捨て人になっている人物。主人公に協力するイギリスの麻薬関係の取締官は、外国の不正は最終的にはどうでもよく、イギリス国内の不正を行っている役人やこの事件の黒幕たちを何とかしたいと思っている。東西対立がなくなってしまい、スパイ戦のためなら外国での誘拐や尋問などの不正を実行してきたスマイリーの価値観は、もはや通用しないのだと繰り返し描く。
さらに「ナイロビの蜂」などに進むと、主人公は何のために突き進むのか途中から分からなくなって、最後は自殺の変わりに、敵に殺される。もはや現在起こっていることから何かを引き出して描こうというスタンスでは、何も描けなくなってしまっている。









