蔵出しダイアリー 「ヨーロッパ」
2008年10月ごろから数年間書き貯めたダイアリーを捨てられずに残していていた。そのころ何をしていたのか思い出せるような気がして公開することにした。誤解されるような表現は避けたつもりだが、理解不能な部分があればご容赦願いたい。第一弾は、「ヨーロッパ」について書き貯めた部分だ。
2008年10月22日のダイアリー
フローラ・ルイスの「ヨーロッパ・統合への道」という本を読み始めた。序文にある「ニュースや刻々と変化する行方を見る上で、この本から有益な知識が得られるだろう。」という予言の意味が、読み始めて数十ページ進んでも、何を指しているのか分からなかった。
67ページの記述、「イギリスでの平等主義は、これまた一風変わっていて、伝統的な特権や習慣を守る権利がだれにも平等にある、ということを意味している。1983年に、自動車会社のブリティシュ・レイランドのある工場が、数か月にわたるストライキで閉鎖された。このストライキの理由は、経営者側が、6分間の『手洗い時間』の権利を労働者から取り上げようとしたことにあった。労働者側は収入がなくなることを意味する工場閉鎖の脅しをかけられても、一度『勝ち取った』権利を放棄することはご免だという態度を曲げなかった。」を読んで、彼女がこの本で何を説明しようとしているのかやっと分かった気がした。
その後、フォークランド紛争でのイギリス政府の頑な態度と、それを支持する国民の頑なさ。警官に武器を持たせるか否かの論争がなぜそれほど盛り上がったかの理由もすべて同じ「根っこ」(国民性)に根ざしている。ヨーロッパで長く生活したアメリカ人である著者には、外からイギリスを眺めているだけの人々には分からない本質的な部分に関する理解がある。その様な事をヨーロッパを構成するであろうすべての国について改めて記述してみようという壮大な試みなのだ。
読み進めていく中で、その試みが安きに流れつまらない通り一遍の記述にならないか注意して読み進めてみたいという強い意気込みで臨んだが、残念なことに、最後まで読み切ることはできなかった。
話は変わるが、今日の朝日新聞朝刊の第一面に、アイスランドで円建てのローンを組んだ人の返済額が突然倍になったというニュースが出た。日本の金利は世界的に見て低いので、その低い金利でローンを組むという商品を、アイスランドの銀行が開発する。為替の相場が安定しているときは問題ないのだが、今回の「世界同時金融危機」で、国家の体力が不安視されるアイスランドの通貨が値下がりし、年初の相場の約半分になってしまったというのがニュースの種明かしだった。
かつては日本円も弱い通貨だったから基軸通貨の乱高下に一喜一憂していたが、むしろ今は一定の強さを維持できる準基軸通貨となっている。もっと身近に対象を捜せば、流行っているオーストラリア通貨での預金も同じではないか。オーストラリアは円相場的には安定しているし、むしろ少し前まではオーストラリアドルの方が高めで、円の方が安くなっていた。一方で、預金の金利は日本に比べればかなり高いので、オーストラリアドルでの預金は、ダブルで有利という話だった。
ここ数年はその通りだったと思うが、ここに来て約20パーセントの下落が発生しており、いくら金利が高かろうと、すずめの涙にしかならない可能性が出ている。これは、オーストラリアがどうとか、アイスランドがどうとかという問題ではない。不安定さが相場で利益を上げる源泉であるというのが金融商品のうたい文句ではあるものの、一定レベル以上は破たんしないということが前提なのだ。
為替の差益を前提にした金融商品は、かなりのリスクがあるという警告や警句がいろいろな場で紹介されていたような気がする。一方で、アイルランドの今回の問題のような具体的な事例を積極的に紹介するようなことは、それまでのニュースにはなかったかと思う。
アイスランドの人口は30万人しかおらず、先ほどの金融商品を取り扱っているアイスランドの銀行は、アイスランドのGDPの10倍もの金融商品を取り扱っているのだという。それでは国家による企業への損失補てんという「禁じ手」を打とうと思ったとしても、アイスランドという国ではできないのだ。アイルランドは、国家自体が自己破産者ということになってしまった。数年前までは、一人あたりの収入で見たとき、世界でもっとも裕福な国だったのにである。
そういうことは、モラルハザードが崩壊した今回のような事態の後でしか情報公開されないのはなぜか?情報公開されているのに、そういう負の方向の結果に思い当たらないだけなのか?それとも、不安を煽るような記事は認められないのか?
このニュースの少し前に、NHKの海外ニュースだったと思うが、イギリスの郊外都市の行政機関が市の取扱銀行をアイスランドの銀行にしてしまったため、今回の金融危機で預金引出を止められてしまい、破綻の危機に瀕しているというニュースがあった。その時は危機感を十分理解できなかったが今回はよく分かった。
2009年2月20日のダイアリー
イギリスに出稼ぎ労働に来ていたポーランド人の悲惨な状況をつづったドキュメンタリーを見た。イギリスでは皿洗いなどの雑務でもいくつか職を重ねれば、月20万円程度になり、これはポーランドの月給の5倍にもなるらしい。それが今回の金融危機で彼らのほとんどが解雇されてしまったらしい。そう言えば昨今、日本人の派遣社員の解雇も話題になっている。
ポーランドでは、少し前までは好景気だったイギリスなどへの出稼ぎで労働力が減少してしまったため、ウクライナなどからの出稼ぎを受け入れていた。そこへ今回の事態が起きて、今ではイギリスからの帰国組と、ウクライナからの出稼ぎ組との間で軋轢が生じてしまっているらしい。ウクライナ人にしてみると、ポーランドでは自国の5倍の給料が稼げるらしい。ウクライナはいったい月給がいくらなのか?イギリスを追われて帰国したポーランド人の青年は5万円程度の月給の口が見つからないままで、そのドキュメンタリーは終わってしまっていた。
ヨーロッパはどれだけ悲惨なのだろう?小説や映画で知っているヨーロッパは考えられないほど満ち足りているように思えたのに、あれは何だったのか?この悲惨な状況は、思っていた以上に深刻で、長引くのかもしれない。
2009年6月6日のダイアリー
今、ジョン・ル・カレの「スクールボーイ閣下」という小説を読んでいる。政治家の河野太郎がメールマガジンで「スクールボーイ閣下」を取り上げた事があって、「スクールボーイ閣下」はどういう小説なのだろうと思っていて、最近やっとその本を見つけることができたのだった。スパイの話ということは分かっていたのだが、小説の舞台は香港で、中国の要人が出てくる類のものだった。「龍のちぎり」など、同じようなテーマで日本人が書いた小説もあり、日本人も大好きなテーマだ。物語の時代設定は1973~74年と思われ、初版は1977年だ。
ベトナムやカンボジアも出てくる。カンボジアには日本人の商社マンがいて、主人公のスパイは彼らの会話に耳を傾ける。そのエピソードを読んだ時、団塊の世代の会社員が定年を機に自分の人生を振り返って書いた随筆の記述と重なる部分があるような気がした。随筆の作者は戦争間近の中東で、石油採掘プラント開発の商社マンとしてぎりぎりの人生を送ってきていた。
この小説では、当時のタイは共産党員が多くいて治安が不安定だと描かれていた。そのタイの地方に隠れている敵幹部を、主人公のスパイが訪ねるシーンがあった。「バリ島へ行ったことがあるか?」と敵の幹部が言う。そして続ける「ラオスは皆殺し、ベトナムは田舎まで丸焼け、だからおれはバリ島に土地を買ったんだ。」
今のベトナムが、日本人観光客の主要なターゲットに変貌するとは、この時点の誰も知る由もない。ましてや、カンボジアが日本のPKOで復興し、逆に今のバリ島はアルカイダの主要なターゲットとして、何度も爆弾による大量殺りくが起こっているなどとはだれが想像できよう。
香港もついに中国へ返還されてしまってはいるのだが、その二重国籍的な魅力は失われてはいない。イギリス自身も、主人公の上司、ジョージ・スマイリーが危惧していた通り、世界の主要メンバーというより、二線級になって久しい。
少し前になるが、ジョン・ル・カレの作品をいくつか続けて読んだことがあった。その一冊、スマイリー三部作の最後を飾る「スマイリーと仲間たち」は、小説の出来としては「スクールボーイ閣下」より上だと思う。なによりコンパクトで、焦点がはっきりしているし、敵の大物をついに捕らえるところも三部作の最後らしくていい。
最後のシーン、ソ連のスパイ組織の親分が身内からの粛清を恐れ、自分の家族の保護を条件に、東ベルリンと西ベルリンの境界へやってきて投降する。そのひと時代前の情景描写に、作者ジョン・ル・カレの苦悩を見ずにはいられない。彼の小説は、東西対立があってのものだったから、それがなければ作家として描くものがないのだ。
その苦悩は、次作と思われる「シングル&シングル」で、如何ともしがたく伝わってくる。物語は、情報公開、民主化で変化しつつあるソ連、そしてロシア。その大物とイギリスの投資会社との付き合いに焦点が当てられている。イギリスの投資会社は将来有望なロシアの大物にくらいついて利権をむさぼろうとするが、その大物が失脚、残されたのは、武器や麻薬の密輸で損を埋めることだった。
主人公は、かなりすれていて、投資会社の社長を父親に持つ元弁護士で今は世捨て人になっている人物。主人公に協力するイギリスの麻薬関係の取締官は、外国の不正は最終的にはどうでもよく、イギリス国内の不正を行っている役人やこの事件の黒幕たちを何とかしたいと思っている。東西対立がなくなってしまい、スパイ戦のためなら外国での誘拐や尋問などの不正を実行してきたスマイリーの価値観は、もはや通用しないのだと繰り返し描く。
さらに「ナイロビの蜂」などに進むと、主人公は何のために突き進むのか途中から分からなくなって、最後は自殺の変わりに、敵に殺される。もはや現在起こっていることから何かを引き出して描こうというスタンスでは、何も描けなくなってしまっている。
2010年10月10日のダイアリー
ムーミンの本を読み始めた。「Finn Family Moomintroll」という題だ。このFinnというのは、フィンランド人のフィンらしい。主人公たちの国は、冬は雪で覆われるらしく、物語のスタートは、冬が始まり100日間の冬眠生活に入る日からだった。眠るまえにムーミンママが、寝る前の儀式といって、「松葉のせんじ薬」を飲ませる。その後ベッドでムーミンが冬眠につく前、「ずっと寝続けるのって怖くない?」とスナフキンに問う。スナフキンは「楽しい夢を見続けて、目が覚めたら春になっているよ」という。100日の冬眠のあと本当に目を覚ますことができるのかという恐怖を、ムーミンは問いかけているのではないだろうか?
この場面で、「ヒトラー最後の15日」という映画のことを思い出した。ヒトラーの側近、ゲッペルスは死を覚悟していて、自分の幼い子供6人に睡眠薬を飲ませて、その後全員を撃ち殺し、妻とお互いを撃ち自殺している。子供たちは生き残れば迫害はされるだろうが、だからと言って殺されることはなかったろう。でも、ゲッペルスは子供たちには幸せな時期だけの人生を送らせることにしてしまった。ゲッペルスの子供たちも「いい夢を見るのよ」と言われて薬を飲まされ、目覚めることのない眠りにつかされた。勘のいい一人の子は嫌がって薬を飲もうとしなかったが、母親が無理に飲ませた。そんなことされるのも、するのも嫌だと思った。ヨーロッパと関連づけて思い出されるのは、それが北の国の雪の光景と関連づくからなのだろうか?
2011年3月4日のダイアリー
「英国大蔵省から見た日本」という本を読んでいる。最初は日本の政権批判みたいな内容だと思ったが、我慢して読んでいたら知りたいことが出てきた。英国は日本のお手本のようでいて、何か根本的なところで考え方が違っているような気がしていたのだが、やはりそうだった。著者の見解だから正しいかどうかは別物なのだが、英国の首相は、いったんなってしまえば、次の選挙までの4年間は自分の首のことは心配せずに政策を推し進めることに専念できる仕組みになっているそうである。日本の首相は、すぐに自分の人気取りのことが気になってしまい、何をするにも場当たり的で一貫性がない感じがする。
三権分立の精神も、日本の社会科ではそれが欧米で確立した素晴らしい仕組みだと教えられるので、それ以外の原理でヨーロッパの一角を占める国が国を動かしていたとは思いもしなかった。英国は三権分立ではなく議会が優先するらしい。だからこそ、何百年も前から議会が王様に盾ついてみたり、有名な宣言を出したりして、有名な出来事が起こっていたのだ。一方の日本はと言えば、しいていえば教科書で教えられた原理としてしか一般人の理解はない。そうは言っても一般人の知識レベルはかなりなものなので、上滑りな理想論が常に渦を巻く。地に足がつかないような理論をかざす人が跋扈するのだ。
2011年8月17日のダイアリー
ネット上のロイターの記事が気になった。ユーロ圏が大変なことになっているという記事で、ギリシャをドイツと比較してみると、平均労働時間がドイツの場合、年間1390時間に対し、ギリシャは2119時間だという。その一方で、平均年収は2万8548ユーロ(316万9000円)で、ドイツは、4万3269ユーロ(480万3000円)だという。このままでは1.5倍も働いて、年収は3分の2ということになる。
義理の父親の海外旅行の話を聞いているときに、「奴らは・・・」という話を聞いた。「奴らは遅く働き出して、すぐに昼飯の休憩に入り、少しすると夕飯の休憩だと言い出し、そのあとすぐ帰ってしまう。いったいいつ働くのか?だから、国がだめになるのももっともなことだ」とのことだった。私も似たような感想を持っている。やたらとデモが好きで、働いている風な感じが見ていられない。
日本人だけの感想かと思ったら、その記事の中で、ドイツの会社の社長が「料金所に4人も人がいるのにやたら待たされた。奴らの1人はテレビを見て、もう1人は新聞なんかを読んでいる。そういう考え方だから効率を全く考えなくて、ギリシアはこんなことになっているのではないか」と言っていた。
2011年10月30日のダイアリー
「キングダム・オブ・ヘブン」という映画を見た。主人公は見たことのある俳優、途中登場する重要な役柄も主役級の俳優たちで、映像も美しく、歴史映画なのだが中世の絵画を見ているかの如く美しい情景だった。しかし、見終わってみれば、これはジャン・クロード・バンダム主演のモロッコでの外人部隊の壊滅を描いた映画とそっくりな話だった。主人公は本国を追われたのだが、なぜか協力者がいて、新しい世界で実力をつける。その新しい世界は、ヨーロッパの南のアフリカ大陸の砂漠の中にあって、強大な敵と対峙していて、つかの間の平和の中にいるが、クライマックスでは必ず滅びるであろうという予感がストーリーの中に漂っている。主人公が大活躍するも、最後は予想通り滅びる。すべての重要人物は殺されるのだが、主人公だけはなぜか生き残る。
歴史を扱った映画が、本来の歴史を曲げて、虚構としての感動を生む。歴史を主題にしておれば、こういうことは映画の歴史修正というらしいが、単なるモチーフでしかない場合はどう考えればいいのか?日本の大河ドラマもこの傾向が強い。この映画はフランス映画ではないかと推測しているのだが、フランスの映画の傾向として、かつての植民地、アルジェリアへのあこがれの傾向が強いのではないか?「キングダム・オブ・ヘブン」では、イスラエルのエルサレムが舞台なのだか、映像的には単にヨーロッパの南の北アフリカでしかない。
ジャン・クロード・バンダム主演のフランス外人部隊の映画の方も、モロッコの砂漠で、敵などはっきりしないが単に強大なアラブの人々というだけ。どちらの映画でも、主人公の側でない方がが勝つストーリーだから、理解のない描写であっても目くじらを立てないだけという気がする。古くは、ジャン・ギャバンの「望郷」?なども、フランス人の琴線に触れる主題なのだろう。
もう一つは、滅びの美学で、この傾向はフランスの映画に多く、イギリスの映画だったらこうはならない。これは日本のサムライの美学に強く影響を受けたからだと思う。アラン・ドロン主演の映画「サムライ」以降、清く、裏切らず、わきまえて滅びる美学がしばしば描かれているように感じられる。話はどんどんずれてしまうが、日本の芸術を最も強く受け入れたのはフランスだと思う。フランス絵画の発展は、日本の浮世絵の輸入によるところが大きいと思う。そんなことの繰り返しが、60年代ごろのフランス映画が輝いていたころに起こっていたと思われる。
一方で、イギリスの映画についてだが、「映画でわかるイギリス文化入門」という本を読んでいる。2008年初版の本で、著者3人も若い。やっぱり映画を見ると薀蓄を垂れたくなるものなのだろう。知らないことがいっぱい書かれている感じがする。(まだ、拾い読みしかしていない。)
たとえば、007のショーン・コネリーが初代ボンドに選ばれたのは、彼のアクセントがイギリスの高い階級特有のアクセントではなく、スコットランドのアクセントが残っていたことが大きな理由だったという。ちょうど、大阪弁なんかの感覚だろうか?もしくは学者風の言い方だとか、若者風の言い回しとかいうことだろうか?ボンドの設定ではイートン校の出身ということだからイギリスのアッパーミドルのアクセントやマナーの方が設定に忠実になると思うのだが、ボンド映画が求めたものは、世界に通用するビッグビジネスの主人公としての性格であり、アッパーミドルの痕跡は出てきてもらっては困るということになったのだという。イギリス人も、他の国のファンと同様にボンドのことを国際的なヒーローとして見ていて、外国人にはイギリス的に見えるのかもしれないが、イギリス人には自分達と同じには見えないと感じているとのことだ。イギリス人が見ても、イギリス人だと感じられるのは「Q」だけだそうだ。
2011年11月12日のダイアリー
「映画でわかるイギリス文化入門」の感想の続きだが、結局、私もイギリスらしさが好きなのだと思う。この本がとらえているイギリスらしさは、シェークスピア映画ではなく、「戦場にかける橋」、「007」、「アラビアのロレンス」だ。「英国紳士とは?」ということがまず第一の主題になっていると思う。どんな人物が英国紳士なのかという切り口だけでなく、その次にビートルズの「ハード・デイズ・ナイト」を持ってくるあたり、いわゆる典型的な英国紳士だけではなく、その後の男たちも含めた大きな枠でとらえた「英国の男性像」が分析の対象となっている。
私はアメリカ人よりイギリス人に共感を感じる。たとえば「大脱走」を取り上げた文章で、「アメリカ人は大口をたたき、生意気な印象を与える。現に、撮影中スティーブ・マックイーンは自分の役柄をもっとヒロイックにしてくれと6週間も撮影現場を離れた。」と書かれていることに共感を覚えてしまう。(マックーンは思惑通りこの映画でその地位を不動のものにしたらしい。)
「モンティ・パイソン」という高学歴者の私には理解不能のユーモアを伝説にまで高めた集団がいた。ユーモアは理解できないのだが、彼らはすごいと思う。「ライフ・オブ・ブライアン」という映画の歌「Always Look on the Bright Side of Life」には凄さを感じる。
少し前に読んだ別のメディアの、英国テレビ界の話にも同様の話題があった。映像作品は、外貨獲得手段が少ないイギリスにとって外貨を稼ぐ政策の中で育まれてきた。これが第二のテーマだと思う。外国に理解しやすいイギリスらしさを切り取って映像化する。「英国伝統映画」、いわゆる「4人のブリジットとノッティングヒル映画」、「007」など、いかにしたらイギリスの理解不能な部分を切り取って映像化できるかに苦心していると思う。
「ブリジット・ジョーンズの日記」が作られた2001年は、1990年代以降に好景気を取り戻したロンドンの姿が背景にある。それより前の時期に作られた映画では、ものすごく過去にもどっていかなければ描きたい対象が見つけられずにいた。1980年代のイギリス映画の多くは歴史映画で、ビクトリア朝(1837~1901)、エドワード朝(1901~1910)の時代を描いている。
「イギリス人のイタリア好き」というキーワードを発見したことも成果だった。今まで解けなかった謎の1つが解けた気がしたのだ。「スクールボーイ殿下」で上流階級出身と思われるスパイがイタリアのどこかの田舎に引っ込んでいるというプロットがあった。なぜ唐突にイタリアなのかという印象があったが、イギリス人にとっては外国と言えばイタリアなのだろう。
2013年8月28日のダイアリー
ヨーロッパに対する関心がしばらくの間薄れていたが、最近1冊の本を読みだして、再び書きたいことが出てきた。その本は「外国の教科書と日本」という本で、ドイツの歴史教科書に日本がどのように書かれているかを紹介している。最後まで読んではいないが、ここまでで分かったことは、日本人が期待しているほどドイツ人は日本に対して関心を持っていないということだ。
ヨーロッパ各国にとっての関心事は、結局はヨーロッパであって、影響を与えるアメリカやアジアや中東の諸国に対して関心が向くが、日本はといえば、昔からアジアの一角の、中国に対抗しているもう一つの国としてしか映っていない。ドイツの受け止め方も、第二次世界大戦の敗戦国という立場が同じという関心が垣間見られるものの、今読んでいるあたりでは、(日本がどういう国であろうと関係なくて)原子爆弾の被災国としての取り上げられているにすぎない。
外国の国が日本の歴史を記述する場合、日本が自国の歴史を記述する場合によくあるような、しがらみを意識しての記述より表現がストレートに感じられる。一方で本当にそうだったのか確かめてみたい内容もいくつかある。とりあえず今見つけた記述を確認しておこうと思う。
①「日本の人口はかなり多く、現在のところ約5100万人を数え、世界で最も人口の多い国の1つである。」(1908年版):人口が1億2800万人になった現在からしてみれば、5100万人のころの人口問題など想像もつかないが、他の記述も見ると当時は人口が増えすぎていて、それを解決するのは海外移住の推進、植民地の獲得とい方向に進んでいた様だ。
②「マルセイユ、アントワープ、ロンドンの港には日本の船がすでに定期的に入港している。」(1917年版):第一次大戦が起こった頃、日本の貿易はどの程度頻繁だったのだろう。この時期の日本は、世界が日本が他の一流国に伍する実力を有する国の1つとして意識し始めるほど国力を充実させていた時期であり、ロシアや中国へ軍事進出もしている。日本の教科書には軍事的な出来事の記述はあったように思うが、経済的な動きも当然あったのではないかと思う。だが、日本の教科書ではそういう内容の記述には触れた記憶がない。ただ気づかずに通り過ぎてしまっていただけなのだろうか?
③「ほとんど何の武器も持たない朝鮮国民が、1919年3月1日、植民地監督官庁の不当な土地の配分をめぐって立ち上がった。日本の軍隊は7900人の朝鮮人を殺害し、その抵抗運動を鎮圧した。」(1996年版):1919年は、大正8年である。日本の歴史教科書の大正8年の記述にこの事件が重大な事件として記述されていたのだろうか?
日本人の作者と思われるインターネットの記述では、「3.1運動」という表現を用いて鎮圧という表現を避けているし、経緯と日本人側の被害(8人)をまず書き、韓国側が約7500人殺害されたと言っているのは誇張ではないかと書いてある。歴史的事実がどうだったのかは分からないが、被害を受けた人数の比率が約100対1だと思っていないのは日本だけかもしれない。少なくともドイツではこの数字が正しいと教えられている。
④「政治家たちに対して行われた一連の暗殺は、1932年の文民政党政治の時代の終焉を準備した。」(1996年版):1932年は、昭和7年である。この年、五・一五事件が起こっている。このことを言っているのだろうか?
⑤「それまで植民地であった地域から戦後約650万人の日本人を帰還させ、再び定着させねばならず、このことは日本の復興に手をつけるにあたって負担となった。(中略)日本の領土拡張政策に貢献した1万8000人が、行政、経済そして教育機関から遠ざけられた。戦争犯罪者は920名が処刑された。」(1996年版):これも作者が日本人だと思われるインターネットの記述では、公職追放で20万人が追放された書かれていて、ドイツの教科書の数値とに10対1の差が出ている。処刑された戦争犯罪者の総数は記述されておらず、A級戦犯の極東軍事裁判で死刑を宣告された30数名のことしか触れられていない。
⑥「1955年からは、教育についても新しい指針が出され、教科書の中では、第二次世界大戦中、日本が侵略目的で出兵したことが矮小化された。1965年からは、学校では、天皇崇拝を強化するよう求められた。」(1996年版):本当にそのような教育内容の変更があったのか調べているうち、やっと見つけたどこかの研究者の論文に、「昭和三十年版学習指導要領から天皇についての記述が初めて登場し、国家の象徴を教えることと、国家に尽くす国民像を合わせて考えると国家主義的傾向が強くなったといえる。」とあった。日本人の平均的な考え方からすれば、この研究者の記述の方が偏っているという感覚ではないだろうか?しかし、ドイツの義務教育の教科書にその記述がされているのだ。
今、新聞などで取り上げられている「外国人が日本の文化に関心を持っている」という内容の記事の多くが、ポップカルチャーへの関心が日本文化への関心に結びついているという趣旨になっている。具体例をあげれば、マンガやAKB48への関心が盛り上がっていて、日本へ行ってみたいという動機になっているという。そういう面だけ受け止めていればいいのだろうか。ドイツの学校で日本人が知らない日本の歴史が義務教育の中で教えられていることは気にしなくていいのだろうか?
2013年8月28日のダイアリー
「海からの世界史」(宮崎正勝)という本を読んでいる。ちょっと引っかかった文章があった。「オランダは、七つの州の穏やかな連合体でまとまりがなく、ヘレントという大商人層が政治の実権を握り、経済中心の国づくりを行っていた。ヘレントは軍事費の削減に熱心で、余剰資金をイギリスやフランスに熱心に投資し続け、平和を前提とする国づくりを行ってきた。しかし、国際条件が変化すると経済成長オンリーだったヘレントの国づくりは逆に振れ、オランダは一挙に覇権を失うことになった。」この文章は何を訴えかけようとしているのだろうか?政治の主体は政治家が持たないといけないと言おうとしているのだろうか?あるいは軍事をないがしろにした日本のあり方を批判しているのだろうか?
「海からの世界史」の眼目は近代に入ってからだった。明治維新より少し前、西欧では紅茶を中国から輸入する「ティークリッパー」という帆船が、スピードを競っていたという。1853年にやってきたアメリカのペリー提督の乗ったサスケハナ号は蒸気船だったが、その当時、アメリカ合衆国が所有していた蒸気船は10隻しかなく、実際に使用できたのはそのうち4隻だけだったらしい。何も知らない日本では、相手のブラフに負け開国に踏み切った。何かを知っているか知らないかで、状況に正しく対処できるかできないかの違いが生まれてくるということが、「海から世界史を見直す試み」の眼目だと思う。
蒸気船の技術革新を担ったのはイギリスだった。グレートイースタン号という巨大客船が1857年建造されたが進水できず、1860年になって大西洋航路に就航、ジュール・ヴェルヌが乗船して小説化した。その後、蒸気船のスピード競争が激化し、スエズ運河が1869年に開通、最も早い大西洋横断記録を持つ客船には「ブルーリボン」の称号が与えられた。1800年代後半から1900年代前半は、ブルーリボンと言えば大西洋航路の客船のことだったのである。パナマ運河開通は1914年。日本が富国強兵でヨーロッパと張り合おうとしたのは事実だが、「海からの世界史」の視点では、アメリカとドイツがイギリスの覇権に挑み、アメリカが勝利したという見解だった。全体的には日本の海における覇権はあえて触れるレベルではなかった。









