2021年4月13日火曜日

ゴールをどこに設定するか。(TEDx Talks に学ぶ・その6)

ゴールをどこに設定するか。(TEDx Talks に学ぶ・その6)



今回は複数の「TEDx Talks」を取り上げます。取り上げる題材は、

「How to learn any language in six months/Chris Lonsdale」・(短いフレーズで区別するため、「In six months」と呼ぶことにします。)

「Why we struggle learning language/Gabriel Wyner」・(同「Struggle learning」)

「How to talk like a native speaker/Marc Green」・(同「Native speaker」)

「Learning a language? Speak it like you're playing a video game/Marianna Pascal」・(同「Video game」)

「One simple method to learn any language/Scott Young & Vat Jaiswal」・(同「Simple method」)の5つのトークです。

いずれのトークも、「どうやったら第二言語がしゃべれるようになるのか」というのがメインテーマです。しかし、その内容には大きな違いがあります。なぜ、共通のテーマにいくつもの処方箋が示されるのでしょうか。今回は、それぞれのトークの「立ち位置の違い」、「ゴール設定の違い」、「プロセスの違い」を比較してみたいと思います。そして最後に、自分の立ち位置、ゴール設定を振り返ってみたいと思います。


「立ち位置の違い」

「In six months」:大学の心理学教授と思われる。「6か月でどんな外国語も学べる」メソッドの普及に努めている。第二言語は中国語でネイティブレベルらしい。

「Struggle learning」:具体的な職業不明。第二言語は6か国語かそれ以上。レベルに関するコメントはない。

「Native speaker」:具体的な職業不明(語学講師かも?)。第二言語は5か国語かそれ以上。ドイツ語は母親がドイツ人で、生まれついてのバイリンガル。他の言語のレベルに関するコメントはない。

「Video game」:語学教師と思われる。英語を教える立場で、自身の第二言語に関するコメントはない。

「Simple method」:学生と思われる。第二言語は4か国語かそれ以上。3ヵ月づつ集中学習したばかり。


「ゴール設定の違い」

「In six months」:どんな外国語でもネイティブレベルまで6か月で習得する。

「Struggle learning」:外国語習得のポイントは、単語学習に視覚的イメージや体験を絡めることで、それを体得することがゴール。レベルに関するコメントはない。

「Native speaker」:外国語習得のポイントは、詰まるとこ正しい発音。ネイティブレベルをめざす人が対象のトーク内容。

「Video game」:コミュニケートの道具として割り切ることが大切で、ネイティブレベルになることは必要ない。

「Simple method」:外国語学習時に、母国語禁止ルールを用いると上達スピードを上げられる。ネイティブレベルをめざすことを端から考慮していない印象。


「プロセスの違い」

「In six months」:5つの原理、7つの実践を行うことで習得する。私の印象では、結局はランゲッジ・ペアレントを見つけて方向づけてもらうことがポイントに思われる。

「Struggle learning」:話者の体験は感動的だが、冷静に考えるとインターネットの語学学習に自己流の工夫をすることで、上達の壁をクリアした印象を受けた。

「Native speaker」:ネイティブレベルに達するには極論すればネイティブの真似をすることに尽きるという話だと思われる。

「Video game」:国全体の英語能力の向上が急務の国々の学習者は、うまくしゃべることよりどう使いこなすかに頭を切り替えて学習すべきという話だと思われる。

「Simple method」:体験報告が主な内容で、どうすべきかという理論的なところはグラグラしている。母国語禁止ルールの有効性を強調しながら、そこまでしなくてもできることからやりましょうという結論になっている。


この記事の構想中に、「英語独習法」・今井 むつみ<著> 岩波新書 の書評を読みましたので、その話を初めに書きたいと思います。書評を介しての理解ですが、著者の主張は、英語と日本語の根底にある土台構造の違いを理解できなければ、本当に英語を理解できたとは言えないということのようです。

この主張は私レベルの学習者でも時折感じることがあります。一例を取り上げると、「TEDx Talks」のビデオを見ていて、なぜ観客がそこで感動したり、拍手したりするのか、英文を読み、分からなければ日本語訳を読んでも、観客の受けた印象が何だったのか理解できないことがあります。

逆に日本語を英文化することを考えると、この「理解できなさ」のわだかまりのようなものが説明できるかもしれません。たとえば、「物事をザックリと理解する」という表現を英文化したとします。「ザックリと」を、辞書で調べてroughlyと訳せるということで終わっていたのでは日本語の土台構造が理解できたとは言えないでしょう。

話者は「ひとまず詳細は抜きにして概要を」という表現としてこの言葉を使ったのでしょうが、この言葉には「ザックリとした仕上がり」とか、「ザックリと盛り付ける」とか、様々な場面での別の意味合いの使用例があります。日本人はそういう使用例の印象を頭の片隅のどこかに持っていて、この表現が発話された時に、話者の言葉選びに納得したり、納得できなかったり、そういうことも含めてこの表現を受け止めるのだと思います。

「ザックリと」=roughlyから抜け出せないままでは、「TEDx Talks」の観客の感動や拍手が理解できないと思うのです。


「自分の立ち位置、ゴール設定」

頭でっかちに英語学習を進めてしまっていますので、色々なことが邪魔をして、純粋に英語が使えることをめざす学習法になっていないのは分かっているつもりです。さらに言えば、自分の年齢と現在の理解力を考慮に入れると、ネイティブレベルの英語習得が達成可能と考えるのは楽観的過ぎでしょう。

せめて日常会話をたどたどしくならない程度でできること、そして中断している「英語ボランティアガイド」が再開した時には、ゲストの理解に応じたトークができるガイドとして、成長出来たらいいと思っています。



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